心の教育

■キリスト教教育を基盤とした心の教育

教会 モラルハザードと言われる現象が起こり、今日本の社会では、大人から青少年までが、目を覆いたくなるような事件を引き起こしています。このままでは国が滅びるのではないかと心配するのは、なにも私たちだけではありません。

 今こそ、人としてぜひとも備えなければならない善悪の判断や思いやりの心を、子供たちの中にしっかりと養う必要がある、と私たちは考えています。そして、この教育を聖書に基づいて行おうと、私たちは考えています。

 自分さえよければ、それでよいとする人々が増えています。それでは亡国への道を歩むことになりかねません。子ども達が規範意識を持ち、思いやりのある人材として成長することを哀心より願っております。

 「心の教育」から「道徳や情緒」を重視した教育の気分、雰囲気を思い浮かべる方もあるかと思いますが、少し違います。端的に言えば「十戒*1-1」と「イエス・キリストの言葉(隣人を愛せよ*1-2)」に準拠しているということです。


*1-1 十戒

 
    1. 汝、我 面の前に我の外何物をも神とすべからず

    2. 汝、自己のために何の偶像をも彫むべからず

    3. 汝の神・主の名を妄に口にあぐべからず

    4. 安息日を憶えてこれを清潔すべし

    5. 汝の父母を敬へ

    6. 汝、殺すなかれ

    7. 汝、姦淫するなかれ

    8. 汝、盗むなかれ

    9. 汝、その隣人に対して虚妄の証拠をたつるなかれ

    10. 汝、その隣人の家を貪ぼるなかれ

 

*1-2 隣人を愛せよ

 

善きサマリア人

ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。

「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが、

「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」

と言われると、彼は答えた。

「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。

「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、

「では、わたしの隣人とは誰ですか。」

と言った。
イエスはお答えになった。

「ある人がエルサレムからエリコへ下っていく途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下ってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。
  同じように、レビ人もその場所にやってきたが、その人を見ると、道の向こう側を通っていった。
  ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして自分のロバに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
  そして、翌日になると、デナリオン銀貨を2枚取り出し、宿屋の主人に渡して言った。
  『この人を介抱して下さい。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの3人の中でだれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

法律の専門家は言った。

「その人を助けた人です。」

そこで、イエスは言われた。

「行って、あなたも同じようにしなさい。」

※ルカによる福音書10章25〜37節(新共同訳)

 

 

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